後ろ向きの黒い影のミツジジイはフミさんの言葉を二人に伝える。
フミさん喋る。
「いちいち「ありがとう」はいらん、それに一回や2回で済まんやろが、一番最後の、でっかい一回だけでいいがや」と姉ちゃんに強制された時、まあ、面倒臭くなくていいかな姉妹なんだしと、軽く了解したのが、今、最悪の状態になってるんよ。下半身付随の車椅子の妹の面倒を40年間みてくれた姉ちゃんに、たった一回言う「ありがとう」って、・・・・・。どんなんや!?って、暗中模索の苦闘中。
「だからわたし決めたん、長生きしてヨボヨボになった姉ちゃんの紙オムツ替えてやるがよ、ありがとうをチャラにするがよ、そして嫌っちゅうほどファブリーズを姉ちゃんのお尻にぶっかけてやるがよ。多分車椅子のわたしにでもできるし、楽しみやわ!」
「・・・・フミはもう死んでおらんがな・・・」とシゲ婆、太陽みたいな小粒のミカンを乱暴に掴んで割って、落日。
シゲ婆「思い出したわ、反抗が過ぎるフミの臭いパジャマのケツにファブリーズを嫌っちゅうほどぶっかけてやったことがあって、今思い出しても笑ってしまうが、冷い!冷い!姉ちゃん!わたしを凍死させる気か!って泣きおったわ、へへへや。ワシも実験にぶっ掛けてみたけど、確かに冷かったわ、ハハハや。
フミさん喋る
「二十歳頃かな、退院して家に帰ってから面白い夢を見たがよ。・・・ギイイーッ!家の前の国道に大きなダンプカーがギイイーッて止まったの、荷台に山盛りのバナナ!青いのや黄色いの。わたし、黄色いのから食べなくては!って、食べ始めたら、食べても食べてもいくら食べても、お腹いっぱいになっても、なぜか止まらないの。村中の笑い者。同級生の千代ちゃんが仲間になって一緒にバナナを食べてくれたの、一緒に笑い者になってくれたの。ところが、突然の衝突?珍事?わたしが次に食べようと思って皮を剥いたバナナがパンツをはいてたの。真っ黒な三角形のパンツ。私、急に涙が溢れ出てきて、恥ずかしくなって、そのバナナから食べられなくなったの。でも同級生の千代ちゃんはやめないというか、止められないの。ポロポロ涙を流しながら食べ続けるの。私は・・・・そこで夢から目が覚めたの・・」
「それからは、皮を剥ても剥いてもパンツを穿いたバナナばっかしの夢、そんな夢ばっかみてたんよ、ミット、わたしってエッチなんですかね?アレレって感じだったなあ」「・・・なんかワクワクして、現実のバナナをいっぱい食べてみたけど、パンツをはいたバナナと出会ったことは一度もないがよ。あーなんなんですかね?ミット?・・・こんなしょうもない私の夢さえ現実は叶えてくれない。絶対的な壁を天まで立ち上げて、下半身不随の私のしょうもない夢を拒絶する現実って・・・?」
「しあわせな人だけなんですかね、夢と現実の間に垣根さえないのは」
シゲ婆「また思い出したわ、一時期、フミのやつ1日一回はバナナ食ってたが、目ん玉キラキラさせて。バナナ食ったらいいことあるがか?と聞いたら「宝くじみたいなもんや!」と、わけ分からんこと言ってたが、ハハハや」
フミさん喋る
「もう一個、40年間、姉ちゃんに言ってない言葉があるんよ・・・、言ってないと言うより、絶対言わへんつもり、死んでも言わへんでえ。姉ちゃんに『さよなら』なんて言えるかいな・・・」
逆光の消えた窓辺で、後ろ向きのミツジジイは、落日に、届くように、願うように、言葉をかみしめた。「伝言は終わりです」
「・・・伝言はなんとなく分かりましたよ」とスズ婆。「ミツさん、あなたが話してくださったフミさんの言動から伝わったフミさんの天真爛漫さはシゲちゃんを慰めたでしょうが。フミさんが純真で素直でいられたのは、40年間の間のほんの一瞬ですよ」
「忘れないでくださいよミツさん、フミさんの現実を。40年間の全てが地獄だったんですよ」
「・・・・私はパンツをはいたバナナが一本ぐらいあってもおかしくないと思うけど、フミさんの面白くて楽しいささやかな夢さえ、現実は拒否し続けた。情け容赦なく」とスズ婆。
「・・・現実は、世間様は・・・一生わしの敵やが・・・・」と竹刀をつかむシゲ婆。
ミツジジイは暗い階段を降りて見物客の残る桟橋へ向かった。
シゲ婆の二階の部屋は秋の夕暮れの影に侵されていたが、黒い盆の上に残った小粒の2個のミカンには夕日の照りが張り付いたままだった。

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