わしの名は、黒田源太(1936年生)2019年、現在83歳。四国西端、佐田岬半島の根元の伊方町に生まれ、伊方町で生涯を終えるつもりだが。太平洋戦争末期、アメリカ軍爆撃機の編隊を見上げて興奮のあまり小便をちびったのは9歳やったが。
過疎化に悩む伊方町は1969年に原発誘致に成功し、1977年には原発の営業運転が始まったが。1970年、原発歓迎ムードの町民は、九町や町見の漁師らの原発反対運動を、補償金を吊り上げるパフォーマンスやと批判をあからさまに口にする始末やったが。1973年の春、黒島の西側の岩場で見つけた不発弾を、わしは原発反対の漁師らと結託して黒島の洞窟に隠したがや。四国電力の金をあてにして浮つく醜い伊方町への反発やが。
わしが不発弾を見つける15年前、1958年8月に、黒島の西南の海上に岩国基地所属のアメリカ軍機A-1攻撃機が墜落していたんや。わしらは酔っ払うたびにそれをを思い出しては冗談を言い合ったが。15年前に黒島沖に墜落したのは原子爆弾を搭載した爆撃機で、その原子爆弾が台風や大潮で東へ流されて黒島へ漂着したんや。そうがや岩国基地に核ありきやったが!カンパイ!わしらが隠したのはその原子爆弾やが。カンパーイ! 原発反対運動敗北者の憂さ晴らしの虚しい冗談やった。
佐田岬半島の瀬戸内海側に原子力発電所、こちら、宇和海側に原子爆弾、原発の町、伊方町の悪魔に魅せられたような符号を、わしらは不謹慎にも弄んだがや。
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