ミカン山の中腹を走る農道は移動する見物客でごった返していた。「ミツ!逃げんなや!」源ジイは犬をたしなめるように、モスグリーンのチノパンツにグレイのパーカーを着た中肉中背のヨボヨボの背中へ大声を投げた。雑踏の流れが一ヶ所乱れた。
「夕方までこの渋滞やが・・・、ミツ、みかんでも食わんか」源ジイは石段に座りミツを待った。「ミツ、今、大阪やろが、この騒動の見物に帰ったんか?」
「黒島が気になって、こうやって帰ってきても、大浜を出て46年も経った者はただの見物客になるのかのう。源さん・・・」と源ジイの横に立ったミツジジイはドームの中の黒島へ目を逃す。
「当たり前やがミツ、それにお前を知っている年寄りはもう大浜には3人も生きておらんが。同級生も2、3人しか残っておらんじゃろ。お前はとっくの昔によそ者だが」と源ジイ、ミツジジイを指した金属の杖の先をトンボを落とすようにグルグル回した。
「ミツ、6年前の町長選やが、40年近く交友のない下半身不随の車椅子生活を余儀なくされた同級生に、突然、立候補した兄貴に一票入れてくれと連絡とったがか?ミツ!」「それが本当なら汚ねえ、情けねえ、人間の隅にも置けねえ、クソ野郎と罵られても文句は言えんがや。」「シゲババアに見つかったら、殺されるがミツ・・。ウホホホホ」
ミツジジイは源ジイの頭上へ手を伸ばして尻だけ黄色く色づいた若いミカンを引きちぎった。揺れた枝先にミカンの裏皮が白く星のように残った。
「シゲバアさんは浜野ふみさんの姉さんですよね・・・・源さん、浜野シゲさんに会いたいんやが」
「なんでや?」
1972年
1972年、高校を卒業したミツがプロボクサーを夢み東京へ突っ走って 行ったら、高二の修学旅行に来た時のあのウエルカ ムの東京ではなくて、夢を追いかける未熟者をふるいにかける鏡が至る所でキラキラ、キラキラ現実を反射している冷徹な東京に変わっていて、やんわり 拒否されたミツは一週間もたたないうちに四国の西端伊方町にそっと帰ってきた。 自己中のミツはすぐに人生のビジョンをリセットし、絵で金を稼ぐイラス トレーターになるために、来年の春には大阪のデザイン学校に入学しよう と決めた。 秋までの半年間、同級生のヨシトモのバイト先の後釡にミツは収まっ た。八幡浜市内の家族経営の後藤紙店(ミツが小学5年生の時の担任の後藤先生が教師を辞め継いだ家業)で、八幡浜市内および南予地方の小中学校、印刷会社、小売店への紙の配達が主な仕事だ。アート紙、 コート紙から上質紙、包装紙、ちり紙、テイッシュペッパー、トイレットペーパ ー、から祝儀袋、香典袋まで、紙ならなんでも販売している。
盆明けに、先生の奥さんの姉で店の小売を手伝っているケイ子さんが、「市立病院の帰りなんだけど、一階の待合室で、大浜の若い人が交通事故で病院に運ばれたって聞いたの、重体みたい。大浜ってミツ君の 村でしょ」と、同級生の重大事故を第三者からテレビのニュースのように知らされたのだ。
「軽四借りてって良いですか?」「どうぞ」
市立病院の駐車場へ軽四を入れたミツは急いで 病院のガラス張りの出入り口へ向かった。ガラスに写りこんだ外景色の中に,同級生で一番背の高いテツの沈んだ顔があった。ミツは中に入り仲間の末席に加わった。八幡浜市内にアパートを借りていたミツには大浜の早朝の大事故を知る由はなかったのだが・・・。 待合スペースには他に大浜のマキオ、ちよさん、まゆみさん、川永田の松井、金田らがいた。集中治療室に入っているのは大浜のフミさんだ。 全員同級生だ。
盆休暇が終わるフミさんを、JR八幡浜駅へ送るために、早朝、金田が車を出 した。助手席にフミさん、後部座席に松井とちよさんを乗せた車は、海岸からくねり上がる急坂の町道をのぼり、国道197号線に接続すると同時に、Uター ンするようにハンドルを右に回し切り、アクセルを踏み込んで八幡浜方面へ向かう。ハンドルを戻すのが遅れた車はカーブの終わったガードレールのない道路の端から、5メートル下のさっき登ってきた町道へルーフから落下した。 車内はロールバーで強化されていたのが幸いして、フミさん以外三人は軽傷で済んだ。
フミさんは脊髄損傷の重傷だ。 八幡浜市立病院では医療技術不足なので、脊髄外科専門医のいる松山の大きな病院へフミさんは転院した。ミツはたったの二度しかお見舞いに行ってない。松井の車に便乗させてもらい松山まで行ったのが一度、もう一度は大阪からの帰郷の際に行ったのだ。2年間の闘病もむなしく下半身付随のまま退院したフミさんは海岸の近くにあった家から、バリアフリーに改築した国道沿いの家に住居を変えた。車椅子生活のためだ。
ミツが最後にフミさんに会いに行ったのは社会人になって二、三年経った頃、盆休暇で帰郷した時で、勉強のつもりでゴッホの「種蒔く人」(ミレーの絵をゴッホが模写)を模写したF10号の絵をフミさんに持っていった。車椅子のフミさんは小学生のようなまん丸い笑顔で「ありがとう、エー!大阪から持って帰ったん、大事にするね」と美術教師のように壁に立て掛けた絵をひと睨みしてから「むぎ茶しかないけど」と車椅子をサッと回して奥へ引っ込み、奥から「暑くない?悪いけどミット窓開けてくれる」と声をかけてきた。「・・・おおっ」とミツは立ち上がり南側の窓を開けた。ミツは窓の向こうの景色を見て言葉を失った。
「まんまえ」麦茶をテーブルに乗せながらフミさんは笑っていた。南側の窓の向こうに事故現場の道路が手で触れるぐらいの距離にあるのだ。さっき小学生の時のあだ名でミットと呼ばれたのと交えて、ミツは温かい畏怖の念に近いものを笑うフミさんに感じて、冷たい麦茶を飲みほした。
フミさんは迷っていた。成功率の低い難しい脊髄の手術を今受けるか、 医学の進歩を待って10年後受けるか、しかし手術は早いにこしたことはない。フミさんはいろんな資料をミツに見せて小学生のようにしゃべりつづけた。
それから何度もフミさんの家の前の国道を通ったが、ミツはなぜか会いに行けなかった。一度フミさんが車椅子から乗用車へ移動する場面を、フロントガラスの向こうに見たミツだったが、手伝う家族の深刻な顔を見て軽くブレーキを踏んだだけで通り過ぎた。
責任を感じて必死にフミさんに尽くしていた金田に、事故から三、四年立った頃、フミさんのお母さんがキッパリと言った。「あなたはまだ若い、もうええが、フミなら私たちが面倒みますが」と。そして松井とちよさんが結婚した。これらのことをミツは間接的に聞いた。フミさんが手術をしたという話は聞こえてこなかった。それからも年に一、二度、フミさんの家の前の国道を通ったが、家はいつも、孤島のようにシーンとしていた。
そして38年後、58歳になったミツは、フミさんに突然連絡したのだ。

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