2045年11月17日、北海道川上郡の牛舎が揺れた。作業を止め牛舎の骨組みを見上げたがもう揺れは去り、牛たちの静けさにも安堵し、携帯を取り出し震源地を確認した青年は「これはでかい・・・」と思わずつぶやいた。震源地は四国高知の南の海底だった。日本の北の端まで揺れたということは、日本全土が揺さぶられたのだ。南海トラフ巨大地震が現実に起こったのだ。震度7、津波20メートル以上、地震学者の予想の数字を思い出して青年は身震いした。エゾマツの原生林の上に朝焼けの空があった。震源地、四国の日の出は今から20分後だ。
2045年11月17日の未明、南海トラフ巨大地震が西日本を襲った。
日が昇ると震度7の瞬発力でぶん回された伊方町は壊滅状態に陥っていた。町の南端の西斜面にはりついていた大浜は、ミカン山も家屋も人も土砂ごと海へ押し流され跡形も無く消えていた。皮膚を剥がれ真っ赤な肉を剥き出している西斜面は早朝の影の中で紫色だった。運良く土砂に埋もれず上滑りした半壊の家屋が桟橋の上にあった。そこからピッピー!ピッピー!電子音と恋する夏の日を歌う天地真理のハスキーな声が流れ出でていた。それらは狼煙のように不吉だった。黒島のドームの上部に当たる朝の光が、カウントダウンのようにゆっくり下がってきていた。
南からやって来た巨大な津波は佐島と烏島を飲み込み、黒島のドームを三分の一程沈め、横たわる佐田岬半島の横っ腹にぶちあたった。海に漂う残骸と桟橋上の半壊の家屋を海抜30メートルの国道があったあたりまで押し上げた巨大な津波の海面は、その高さで水平になって静止した。海の底知れない体力だ。水面が降下した後には44億年前の地球の原野以外何もなかった。
瀬戸内海側に立地していた伊方原発は津波の被害は免れたが、震度7の前震で崩れた山の土砂に押され傾いていた原子炉が、夜明けの震度6強の余震で土砂ごと海へずり落ち半分水没した。原子炉制御が不能になり昼過ぎに原子炉が爆発した。放射能は空へ飛散し、汚染水は瀬戸内海へ流出し続けている。国は伊方原発原子炉にコンクリートをぶっかける決定を下した。午後3時過ぎ、震度7強の本震に集中攻撃された伊方町佐田岬半島は真っ二つに引きちぎられ、瀬戸内海と宇和海が繋がった。半島で一番細い堀切が谷のように裂け、そこから放射能汚染された瀬戸内海の海水が宇和海へ流れ込み続けた。
西日本全体が激震と津波の被害をこうむったのだ。四国の西端の空にメデイアや個人のドローンが数十機飛来してきたのは、午後になってからだった。
西日本の悲惨な現状の動画が国内問わず世界中に拡散された。伊方町大浜の惨事を執拗に映した動画もあった。そこには半壊した桟橋にたむろしている犬や猫の薄汚れた姿が映っていた。
愛媛県は走る犬の形だ。その下半身(南予地域)は激震で肉を削ぎ落とされ骨まで露出させている。
伊方原発の原子炉爆発事故によって、放出、拡散された放射能による生命、身体の危険を回避するために、国はその日のうちに愛媛県南予地域に避難指示を発出した。その広さは愛媛県の半分近くになった。
激震被害、津波、被曝、愛媛県の下半身は壊滅した。
伊方原発をコンクリート詰めにする案は、AIに否定され、黒島と同様、より進化した原子炉冷却装置付きドーム型シェルターを設置することに政府は最終決定を下した。
大浜の半壊した桟橋の上に行くあてのない犬や猫にまじって三毛猫がいた。
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